ブックレビュー

内田和彦『「キリスト教は初めて」という人のための本』 by junstott

内田和彦『「キリスト教は初めて」という人のための本』(1998年、いのちのことば社)

要約

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書3:16
という御言葉を軸に、キリスト教とは何かを簡潔に説く。

万物を創造し私たちを創造した神が私たちを愛している。(第一章、第二章)
しかし私たちはこの神から離れ、神にそむいて生きているため、真のいのちを失っている。(第四章)
そこで神は、私たちを救うため、ひとり子イエス・キリストを遣わされた。(第三章)
彼は私たちの罪を負って十字架で死ぬことにより、私たちが罪赦され、神と和解することができるようにしてくださった。(第四章)
しかも彼は死から復活し、永遠のいのちを与える救い主であることが明らかにされた。(第五章)
私たちが永遠のいのちを持つには、神の御子であるイエス・キリストを救い主として信じることが必要である。(第六章)
(p.79, p.80より)

感想

前回レビューしたジョン・ストットの『信仰入門』は、既にクリスチャンである人の「再入門」の本としても読める本だったが、この本も同様である。
『信仰入門』に書かれている「クリスチャンとしてどのように生きるべきか」という内容はこの本にはあまり記されていない。しかし、同じ著者による『「教会は初めて」という人のための本』『「聖書は初めて」〜』『「祈りは初めて」〜』を合わせて読めばある程度カバーできるだろう。
また、同著者とH・ネットランド氏による『キリスト教は信じられるか』を読むと、より「キリスト教は信じられるか」という疑問の答えを判断する資料は増える。

さて、この『「キリスト教は初めて」〜』であるが、『信仰入門』と同様にキリスト教を信じることを勧めている本である。
『信じない人のためのキリスト教入門』というようなタイトルの本もあるが、そういったものとは明らかに趣が違う。
そもそもキリスト教の正典である聖書自体が、神の御子であるイエス・キリストを救い主として信じることを求めてくる本であるから、信じることを勧めてくるのはある種当然である。
ではあるが、著者は「とにかく信じろ」と信じることをゴリ押ししてくるわけではない。
第六章では信じる前によく考えることを勧めてくる。
イエス・キリストを信じることには、「全部は分からないがイエス・キリストを信頼して決断する面」と「イエス・キリストをよく知る努力をした上で決断する」という両面が伴う。

キリスト教信仰とは、聖書を通して自らを啓示している神と和解し、人格的交わりの中で生きることである(p. 93)。
ヨハネ3:16に表されている神は、この世のどんな人間よりも優れた、素晴らしい方である。
その神との交わりの中で生きることは、人間にとって一番幸いなことである。
そのことを思い出させてくれた一冊だった。

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」ヨハネの福音書20:31

by junstott