ブックレビュー

使徒パウロの神学第1部2章~神と人間~

要約

パウロの神理解はユダヤ教的である。パウロが各書簡で表している神観を理解するためには、ユダヤ教的な神を踏まえて考える必要がある。

まず、パウロは一神教徒であった。ヘレニズム文化に親しんでいたパウロであったが、ギリシャ文化に登場する多くの神々と、聖書の神は一線を画すものだと考えていた。

初代教会のキリスト者たちは、当時の社会において無信教(無神論?)であると言われていた。彼らがユダヤ教と同様の神理解を持ち、偶像を造らなかったためである。パウロは、ギリシャ哲学に則って神観を表明するのではなく、ユダヤ教の延長線上で神への信仰を表した。

パウロは書簡で、『神々』や『悪霊』という言葉を用いている。この言葉について、パウロの神学には、多神教的な要素が含まれているのではないかという議論も交わされている。

確かに第二テサロニケ2章4節でも、『あらゆる神と呼ばれるもの』と語っている。しかし、ここでは、手紙を送った教会の人々が、ヘレニズム文化に浸透しているという状態を考慮していた。

彼らの周りには多くの神々が崇拝されており、彼らは多神教の文化を向き合わなければならなかった。パウロは『あらゆる神とよばれるもの』と語ることで、牧会的な配慮をしたのである。

パウロは、神と宇宙の関係をユダヤ教的に認識していた。すなわち、唯一真でなる神ヤハウェがこの世界を創造したという理解である。そして人を神のかたちという良い者として創造したということである無から有を創造した神ヤハウェの業と死者の中から復活するというキリストの業は、パウロの中で密接につながっている。

パウロが聖書中で『知識』という言葉を使う時、人間の合理的な概念だけではなく、体験から学ぶことを意味に含めている。この『知識』に対する考えは、ユダヤ教的な考え方だ。

ユダヤ人にとって神を知るということは、単に論理的な議論を重ねて理解することだけでない。礼拝や生活を通して、神を体験することでもあった。神との関係性を築くことによって、神を知ることにつながっていくとパウロは認識している。

彼の回収と宣教と祈りの体験に依拠した神の知識だ。理性的厳格、宣教・牧会における効果的洞察、そして個人体験によって、パウロは説得力をもって神について語り得た。

感想

パウロ自身の神学を知ろうとする時、パウロがヘレニズム文化に生きるユダヤ教徒であるという点を考慮する必要がある。

パウロはどの程度ヘレニズム文化に染まっていたのか。どの程度ユダヤ教の生き方を歩んでいたのかが問題である。

併せて、パウロのユダヤ教の価値観がどの程度キリスト教に影響を及ぼしているのかも問題として挙げられる。

本書ではこれらの問いに、パウロは徹底的にユダヤ教の教えに根付いており、改宗後のパウロは変わらず、ユダヤ教の神観を土台にしていたと応答している。パウロの神理解の中心にある神の唯一性は、ユダヤ教という宗教背景に成り立っている。

パウロは、その神学的を土台にキリストが主であることを語っている。パウロの神学を知るためには、旧約時代に生きていたユダヤ人の文化や信仰、生き方を知ることが重要である知ることができた。

この章通して、ユダヤ教とキリスト教の神観を相違点をさらに深く知りたいと思った。このことについては、読み進める間に整理していきたい。