ブックレビュー

『みことば 聖書翻訳の研究 第2号』 by junstott

新日本聖書刊行会編『みことば 聖書翻訳の研究 第2号』いのちのことば社、2021年

概要

聖書翻訳について、新改訳2017の訳文の根拠を示す論文と、次回改訂に向けて改善の可能性を探るものと、4本を載せた冊子。

・IIテサロニケ1:12でΘεὸςはイエス・キリストにかかるか(内田和彦)
・新約に置ける旧約引用(2) ー使徒15:16-18(三浦譲)
・聖書ヘブル語における「奪うこと」に関わる語の整理(平塚治樹)
・類義語の区別について ーעלםを例に(公文光)

感想

まず前提として、私は聖書の原語が全く読めない。
しかし、聖書を信仰と生活の基準(規範)とするクリスチャンにとって聖書翻訳は重要な事柄なので、触れられる範囲の情報には触れたいと思い、今回読書した。
この本は、第2号なので当然第1号もあり、また、『聖書翻訳を語る 「新改訳2017」何をどう変えたのか』という本も新日本聖書刊行会から出ている。これらもまた、ここで取り上げる機会があればと思う。

さて、この第2号についてだが、原語が読めない読者にとって読めるかというと、2本目の論文は、「新約著者による旧約引用」というテーマなので、ヘブル語、ギリシャ語をまたがって込み入った議論が展開されるので、なかなか難しい。
難しいが、聖書を一冊の本として理解する際に重要な問題であるので、こうした議論があること自体を、原語が読めない聖書の読者が知ること自体は非常に重要なことに思う。

1本目は、「パウロはキリストを『神(Θεὸς)』と呼んでいるか」という問題を扱っており、著者の結論は「yes」である。
私たちの信仰自体に深く関わる問題であり、興味深く読める論文であった。

3本目は、「奪うこと」に関するいくつかの単語の整理であり、ヘブル語の単語の違いがよく認識できない私にはなかなか厳しかったが、最後にはいくらかすっきりと読み終えられたかと思う。

4本目は、

イスラエルの会衆すべてが迷い出て、すなわち、あることがその集会の目から隠れていて、主がしてはならないと命じたすべてのことのうち一つでも行い、後になって責めを覚える場合には、(レビ記4:13)

ほかの男が彼女と寝て交わり、そのことが夫の目から隠れていて、彼女が身を汚したことが見つからず、証人もなく、彼女が捕らえられないままであるが、(民数記5:13)

などの箇所で使われている語について、「隠れる」ではなく「朧になる(ぼんやりとしている)」という日本語訳を提案するものである。私個人としても初めて読んだときに少し違和感を感じた表現でもあった。日本語にまっすぐに置き換えることができない語をどう訳すかについて、興味深い議論が読めた。

多くのクリスチャンは原語をほぼ全く読めないかと思うが、「どうしてこのような訳になったか」というのは日本語訳聖書を読むクリスチャンにとって非常に重要な問題であり、積極的にこうした刊行物を読むことは有意義だし、こうした出版を継続しておられる先生方に感謝したい。