あらすじ
『トイ・ストーリー1〜3』の主人公であるオモチャたちには、アイデンティティとなる二つの事柄がある。
- アンディの所有物であること(所有物である事実)
- 所有者であるアンディを喜ばせること(所有物としての役割)
の二つである。
彼らは少年アンディの所有物だ。
オモチャであるウッディ、バズ、ジェーン、ブルズアイの足裏には”ANDY”の文字が刻まれている。
1作目で、新入りオモチャのバズは「自分は(アニメ番組の設定上の)スペースレンジャーである」と思い込んでおり、それが彼のアイデンティティだった。
しかし、自分がオモチャにすぎないと知り、アイデンティティが崩壊する。
自暴自棄になり、残虐な少年シドによって破壊されることを受け入れるが、ウッディに諭される。
アンディがお前を好きなのは、お前がスペースレンジャーだからじゃない。
最高にクールなオモチャだからだ。
お前はアンディの宝物なんだ。
バズは自分の足裏に”ANDY”と書かれていることに気づく。
バズはシドのもとから脱出し、オモチャとしてアンディのもとで生きることを選択する。
2作目では、ウッディが「貴重な品物として博物館で展示される」という誘惑に一時は屈するが、今度はバズがウッディを諭す。
君はコレクターズアイテムではない。
オモチャだ。
オモチャの役割は博物館に飾られることではないはずだ。
『子どもに愛されてこそオモチャだ』と教えてくれたのは君だ。
ウッディもまた自分の足裏に書かれた”ANDY”の文字を見て回心し、アンディのもとへと帰ることを決心する。
3作目では、成長し大学進学を控えたアンディには、一番思い入れのあるウッディ以外のオモチャは必要とされなくなる。
オモチャたちは長年遊ばれていないので、「子どもに必要とされたい」という生得的欲求が募っている。
その結果、あることがきっかけでウッディ以外のオモチャたちは「アンディの所有物である」というアイデンティティを放棄し、保育園のオモチャになろうとする。保育園のオモチャのリーダーは言う。
ここには『主』はいない。
自分自身が『主』だ。
しかし、そう言うオモチャのリーダーこそ実は保育園に君臨する邪悪な支配者であり、保育園はアンディのオモチャたちにとって、天国を装った地獄だった。
自分たちの犯した過ちの深刻さを思いながら、ジェーンは自分の足裏の”ANDY”の文字を見つめる。
紆余曲折を経て、彼らアンディのもとから離れたオモチャたちは「たとえ今は屋根裏にしまわれるとしても、やがて生まれるアンディの子どもに遊んでもらえる」という希望を信じ、アンディのもとへ帰る。
そして、実際には屋根裏にしまわれるよりも遥かに喜びのある結末が訪れる。
2. 聖書のメガネで観る
冒頭に書いた通り、3作を通して貫かれているオモチャたちのアイデンティティとなる事柄は
- 所有物である事実
- 所有物としての役割
である。
足裏に書かれた”ANDY”の文字はその二つを象徴しており、オモチャたちにそのことを思い出させる。
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。」ヨハネの福音書10:14
「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」エペソ人への手紙1:13, 14
彼らは「自分たちはアンディの名前が刻まれたオモチャだ。だからアンディを喜ばせることが自分たちの喜びだ。」と考え、自分たちが生まれ持ったアイデンティティ、役割に忠実だ。役割に忠実であることが彼らの存在意義であり、彼らにとっての正義である。
聖書によれば、人は神によって創造された存在で、神は人(と万物)の主である。
そして、聖書が伝える神は、アンディのように、所有物を必要としなくなったり関心を失ったりする不安定・不完全な主ではない。
聖書が伝える神は愛であり(Iヨハネ3:11)、かつ永遠に変わらないお方(ヘブル13:8)だから、ずっと私たちを大切にしてくださる。
そして、トイ・ストーリーのオモチャたちがアンディのもとでアンディを喜ばせて生きるように、私たち人間にとっては、主である神のもとで、神を喜ばせることこそふさわしい生き方であり、私たち自身にとっても本当に喜びのある生き方なのだ。
1作目でバズのアイデンティティが崩壊したように、人の力で得たアイデンティティは、ある日突然崩れ去ることがある。
しかし、聖書が教える「神のもの(所有)である」というアイデンティティは、その保証が人にはなく、アイデンティティを与えてくださる永遠なる神にあるので、確かで壊れないものである。
2作目でアンディのオモチャたちが出会った、アンディの所有ではない、オモチャ屋に並んでいた「バズ」は、「自分は(アニメ番組の設定上の)スペースレンジャーである」と思い込んだまま所有者を持たず「自由に」生き続ける。
その姿は作中では滑稽に映るが、それこそ自分の本当の存在意義を知らずに、自分を「自由だ」と思い込んでいる人の姿なのではないだろうか。
人は自分が何者であるかを知る必要がある。人は自分が何であるか、どう生きるべきかを知ってこそ真に自由に生きられる。
「真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネの福音書8:32
by junstott