あらすじ
ローザンヌ誓約は、1974年にスイスのローザンヌにおいて、ローザンヌ世界宣教会議で生まれた誓約である。
誓約では、ジョン・ストットが中心になり、福音派の教会が信じている信仰基準や、行動の基盤を明確にしている。
このローザンヌ誓約で特徴づけられるのは、宣教としての伝道と社会的責任の関係である。
特に5項では、「伝道と社会的政治的参与の両方が、ともに私たちキリスト者のつとめ」であるとし、宣教における伝道と社会的政治的参与の両方の重要性が語られている。
たしかに人間同志の和解即神との和解ではない。社会的行動即伝道ではない。政治的解放即救いではない。しかしながら、私たちは、伝道と社会的政治的参与の両方が、ともに私たちキリスト者のつとめであることを確認する。なぜなら、それらはともに、私たちの神観、人間観、隣人愛の教理、イエス・キリストヘの従順から発する当然の表現にほかならないからである。救いの使信は、同時に、あらゆる形の疎外と抑圧と差別を断罪する審きの使信でもある。
また、その活動における教会の具体的な取り組みが述べられている。とりわけ、教会の宣教の中で伝道こそが第一のものである、という点が強調され、伝道がそれぞれの文化に根差した取り組みの重要性が語られている。
私たちは、父なる神がキリストを遣わされたように、キリストは贖われたご自身の民をこの世界に遣わされることを、また、その派遣は、主の場合と同じように、深いそして多大の犠牲を余儀なくするところの、この世界への浸透を要求するものであることを、確認する。私たちは、教会的なゲットーから脱け出て、未信者の社会の中に充満して行く必要がある。犠牲的奉仕を伴う教会の宣教活動の中で、伝道こそ第一のものである。世界伝道は、全教会が、全世界に、福音の全体をもたらすことを要求する。
個人のみならず、教会の積極的な伝道と社会的責任の参加が、今日の世界において求められている。
感想
この誓約を読んだとき、ぼくはクリスチャンの伝道の意味と社会に関わる重要性を理解することができた。
教会の中で、礼拝をし、祈るだけの生活だけがクリスチャンのあるべき姿ではない。
むしろ、キリスト教は社会に積極的に参加し、正しい社会や平和に対して熱意をもって、関わることが必要であることを思い起こしてくれる。
この誓約の中で最も印象に残ったのは、「宣教」という言葉が今までのぼくの理解よりもはるかに幅広く解釈されていた。
この誓約で述べられている宣教は、伝道と同義の意味ではない。
「宣教」とは、伝道と社会的責任の両方を含み、それぞれが補完し合って、初めて宣教ということができると述べられている。
もちろん、伝道は、宣教の中でも最も重要な使命であり、教会はこのことを理解して行動していく必要がある。
しかし、同時に社会的責任への召しがそれぞれの個人と教会にに与えられていることの重要性が述べられ、クリスチャンとしての生活すべてが宣教になりうるという考え方を示してくれる。
ローザンヌ誓約は、世界中の教会のリーダーたちが集まり、作成した内容である。
この誓約が世界中で読まれ、多くの人がこの誓約を原動力として、様々な事柄を実践していると考えると、日本に住むクリスチャンにとっても、家庭や仕事や教会生活において、大きな活力と原動力を与えてくれる。
そして、ローザンヌ誓約は世界における自分の立場を思い返し、与えられている場所での宣教に思いを向けるよう励ましを与えてくれる。
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