歴史書

使徒パウロは何を語ったのか~1章から5章~

要約

N・T・ライトは、パウロ自身の言葉でパウロを研究しようと試みていると語る。

まず、第一にパウロはシャンマイ派のユダヤ人、ユダヤ教徒であったことを語る。また、当時のユダヤ教神学の中心に位置するものとして、『一神論』『選び』『終末論』を挙げている。

パウロは、全世界を支配しておられる神は唯一であり、その真の神によって唯一選ばれたのがイスラエルの民であると信じていた。そして、一つの未来が世界を待ち受けており、それは、唯一まことの神が、いずれ悪を打ち滅ぼし、ご自分の民を救ってくださるということであった。

パウロは、シャンマイ派のユダヤ人としてそのことを信じ、また自身もいずれ来る終末に対して何かできることはないかと考え、行動していた。それがパウロの『熱心さ』だった。

パウロは、救われるために熱心に律法を行っていたわけではない。イスラエルに対する神の約束への従順のゆえに、律法を守っていた。

 

ライトは、サウロ(回心前のパウロ)のアジェンダについて3つでまとめている。

①サウロは、イスラエルの神に対して、またトーラーに対して熱心だったこと。

②サウロは、自分も他のユダヤ人たちも今こそトーラーを心から守るべきであると考えていたこと。

③必要であれば、暴力を使ってでも、自分の手法でトーラーを守らせ、それによって大いなる日の到来を早めること。

しかし、パウロはダマスコの途上で、ナザレのイエスによって、神の契約は成就され、神はすでに悪に打ち勝ち、正義と平和が支配する新しい世界が創造されていることに気づいた。

その新しい世界において、パウロは、だれが神の民に属しているかを決定づける者はトーラーではなく、信仰であることを確信した。

パウロは、ダマスコでの出来事の後、サウロとして持っていた熱心さを、大いなること(旧約聖書にある約束がイエスにあって成就されたこと)を全世界に宣言することへと用いるようになった。

 

パウロにとっての福音は、歴史から切り離された神学や、個人的に『どのように人が救われるか』というメッセージではないことを語る。

①ナザレのイエスにあって、とりわけその十字架にあって、罪と死を含むあらゆる悪の力が決定的に打ち負かされた。

②イエスの復活にあって、新しい時代が幕を開けた。それは長い間、預言者たちが待ち望んだことであり、バビロン捕囚が終わり、全世界が唯一の創造者である神のもとに集められる時だった。

③十字架につけられ、復活したイエスは、イスラエルのメシアであり、イスラエルを代表する王だった。

④それゆえ、イエスは主であり、世界のまことの王である。その御名の前で、全ての者がひざまずく。

 

感想

ライトが強調している点は、イエスは、イスラエルの王であり、それゆえに全世界の王であるということだ。

イエスが王であるということは、イエスの十字架による死と復活が、単に一人一人が罪赦されてどのように救われるかということだけに焦点が当てられていないことを示す。

そして、一人一人の救いは、パウロの議論の中心ではないと、ライトは語ろうとしているのではないかと感じた。

 

旧約聖書において、イスラエルの民は、出エジプト、バビロン捕囚を経て、いずれ世界を統べ治める王の到来を強く待ち望んでいた。

しかし、その王の到来は、イスラエルの民が望んでいたような形では起こらなかった。これまでの地上の王のようにではなく、十字架に磔にされ、みすぼらしい姿で死んだ一人の人間イエス。このイエスこそがそのメシア、王であることにパウロは、ダマスコの途上で気づくことができた。

ライトの考える使徒パウロは、シャンマイ派のパリサイ人としての背景とアジェンダを持った人物であり、地上を治めるメシアを待ち望んでいた熱心なユダヤ人であった。そして、そのパウロは、神との契約関係の中へと回復されることが福音であり、その中心に王であるイエスがいると考えた。

正直、ライトが批判??しているプロテスタントのパウロ神学について、もう少し理解を深める必要を感じた。

ライトが一体どのような点において、批判的に(あるいは肯定的に)捉えているのかをいまいち深く理解することができなかった。

ただ、ライトが強調している『イエスがイスラエルの王である』という言葉から始まる福音の大きさを見ることができた。

全被造物の王の王であるイエスがすでに、王の御座に着座され、来るべき終末が近づいていること。

パウロは旧約聖書の神とイスラエルの契約という文脈の中で、全ての人(ユダヤ人も異邦人も)が神の契約関係の中へと回復するという約束(福音)を果たそうとしていることを知ることができた。

 

パウロの背景や思想に関しての研究はライトだけでなく、多くの神学者が取り組んでいる。

今回のライトのパウロ理解だけでなく、他の著書を読みながらパウロに関しての理解を深めていきたいと思う。特に、パウロのいう伝統的なプロテスタントのパウロ神学について深めたい。

『使徒パウロは何を語ったのか』が終わり次第、『罪の転嫁』を読みたい。