ユダヤ人

ユダヤの小話から学ぶ「子どもの存在」~神様が預けた宝石~

神様が預けた宝石~二人の子ども~

ユダヤ教のラビ(教師)が、安息日の日にシナゴグで説教をしていました。

ちょうどそのころ、2人の子どもが家で亡くなり、ラビの妻は2人の子どもを布に包んで、2階の部屋に運び込みました。

ラビがシナゴグから帰ってくると、妻はラビに対して質問をしました。

「私はあなたに聞きたいことがあります。もし、ある人が私に非常に高価な宝石を預けて、この宝石の番をしてくれ、と言ってきました。

そしてその持ち主が、ある時急に、預けていた高価な宝石を返してくれ。と言ってきました。そのような時、私は、どのようにすればいいでしょうか。」

ラビである夫はその質問に対してこう返答しました。

「それはすぐに、持ち物に返さなければならないよ。」

そこで妻は言いました。

「実は、たった今、神様が二つの高価な宝石を天に持って帰っていきました。」

ラビは、ただ頷いて何も言いませんでした。

子どもは神様から与えられた宝石

非常に短いに話ですが、ここにユダヤ人の「子ども」に対する捉え方を見ることができます。

つまり、ユダヤ人にとっての子どもは神様から預けられている大切な宝石ということです。

「預けられている」という言葉だけを抜き取って、ユダヤ人の人々は、預かりものだからと、言って大切に育てないということではありません。

むしろ、神様から与えられた物だから、神様が望むような人に育て、教育していくという思いになるのです。

あるこーくん
あるこーくん
子どもは親のもの、という認識はほとんどないんですね
ダビデさん
ダビデさん
これがユダヤ人の子どもと親の関係だね

子どもは、親のために産まれてきたのではない。

子どもは、神様から与えられた宝石

また、こうしたユダヤ人の子どもに対する理解は、旧約聖書に登場する人物からも伺い知ることができます。

子どもが与えられない旧約聖書の女性

旧約聖書の中に、ハンナという人物が登場しますが、彼女は長い期間子どもが生まれないことに悩んでいました。

あるこーくん
あるこーくん
ちなみに聖書では、「主は彼女の胎を閉じておられた」という言い方をしていますね。
ダビデさん
ダビデさん
ユダヤ人はとことん神様中心の世界観なんだね。

そこでハンナは、神殿の前で一生懸命に祈り、子どもが与えられるように神様に祈ります。

もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、

彼女の信仰の中には、神様が私たちの胎を開かなければ、子どもを産むことはできない。

神様が私に子どもを預けようと思わなければ、子どもは与えられないという信仰を持っていました。

自分のできる限界を理解している夫婦

この話では、一切夫婦の感情が描かれていません。淡々と出来事と会話だけが進み、夫婦の冷たさすら感じる内容です。

しかし、この夫婦は決して非情もなければ、冷酷な人たちではありません。

むしろつらい感情を納得させるために、ラビの妻は

「実は、たった今神様が二つの高価な宝石を天に持って帰っていきました。」と言ったのだと思います。

言葉を語ることで、

子どもが死んだことに対する強い悲しみや苦しみ、自分の子どもがどうしてこの若さで死ななければいけなかったのかという思いを納得させ、むしろその言葉に励ましを覚えています。

そして、この「実は、たった今神様が二つの高価な宝石を天に持って帰っていきました。」という言葉から学べることは、ユダヤ人は、人ができる範囲と神様が行なう範囲を理解している点にあります。

自らが神様から与えられている責任の部分と神様の責任の部分は明確に分かれています。

自分にできることの限界を知っているからこそ、自分にできることを精一杯行うことができますし、自分ではどうしようもない事柄に関しては神様に全幅の信頼を置いて、委ねることができます。

これがユダヤ人の生き方です。

そして、これは決して神様との関係だけに留まりません。人との関係でも同じことが言えます。

ユダヤ人は、神様に対しても他者に対しても、自分の限界を十分に理解し、自分のできる範囲内で子育てをし、教育を施し、それぞれの人生を歩んでいます。

あるこーくん
あるこーくん
自分の限界を知ることは、正しい境界線を理解する事なんですね。
ダビデさん
ダビデさん
人間関係でも、この境界線を理解することは非常に重要なんだ。

・ユダヤ人は、人ができる限界と神様の行う領域を分けている。

   ・人間関係でも自分の限界を理解し、正しい境界線を引くことが大切。

まとめ

この~神様が預けた宝石~の話から大きく2つの事を学ぶことができます。

①子どもは、神様から預けられた宝石である。

②人の限界を知り、人のできる範囲と神様が行なう範囲を正しく理解する。

これらの理解は、なかなか日本人の文化ではピンと来ないかもしれません。

しかし、日本の中でも

「お天道様が見ているよ。」という言葉や、

「亡くなったおじいちゃんが守ってくれるよ」という言葉を通して、

生きている人間ではどうしようもできない事柄があることを、無意識にも日本人は知っています。

自分の限界を知って、できる範囲内で一生懸命に生きること。また、自分ではどうしようもできない事柄に関しても、しっかりと境界線を作って、自分の中で納得するように意識することで、肩の荷を下ろしながら生活できるのではないでしょうか。

また、子育てに関しても、子どもは親のために存在するのではない、ということを意識することで、無理なく、しかし一生懸命に子どもに関わることができるようになると思います。

あるこーくん
あるこーくん
ダビデさんもユダヤ人ですよね?
ダビデさん
ダビデさん
うん。僕も8番目に産まれて、大切に育てられたよ!まさか王様になるなんて思いもしなかったけど笑

 

少しでもユダヤ人の知恵、考え方からよりよい生活を送っていただければ幸いです。