メリル・C・テニイ著、いのちのことば社出版部訳『新版 キリストの復活』いのちのことば社、2017年
概要
原著は1945年刊行。イエス・キリストの復活とその意味について書かれたもの。
目次
第一章 復活の事実
第二章 復活の予測
第三章 復活の信仰
第四章 復活の自由
第五章 復活の効力
第六章 復活の熱情
第七章 復活と不屈の精神
第八章 復活の最終目的
第一章はキリストの復活が真実であることを弁証している。
第二章は旧約におけるキリスト(メシヤ)復活の預言について。
第三章は復活の事実が私たちの信仰に対して求めること、「約束に対する信仰」「人格に対する信仰」「目的に対する信仰」「卓越性に対する信仰」について。
第四章は復活がキリスト者にもたらす新しい自由、「罪の宣告からの自由」「罪の強制からの自由」「罪の腐敗からの自由」について。
第五章は復活がキリスト者にもたらす効力、「霊的な効力」「知的な効力」「身体の効力」について。
第六章は復活がキリスト者にもたらす熱情(パッション)、「新しいメッセージの熱情」「最終的な権威の熱情」「大指導者の熱情」について。
第七章は復活によってキリスト者が与えられる不屈の精神と勇気について。
第八章は終末論について。
感想
著者が復活は降誕、十字架に比べて扱われることが少ないテーマだと書いているが、確かに私自身も復活については十字架に比べて考えてこなかったことを反省するものである。
そのような態度に対し、キリストの復活は使徒たちの信仰の根拠、保証だったし、メッセージの核心であり、また希望であった。
復活がなければキリスト教信仰はありえないのである。
四章、五章は「今」を生きる私たちに復活がいかに希望を与えてくれるかを教えてくれる内容だったし、第八章は「将来」の希望を教えてくれる内容だった。
このようにして、私たちは復活のいのちにより、日々勝利を経験する。罪はなお私たちとともにあるかもしれない。それは、不信仰に陥るとき、私たちに失態を演じさせるかもしれない。しかし、内なるキリストにある新しいいのちは、その強制力から解放してくれるのである。(第四章、「罪の強制からの自由」p.66)
死人に必要なのは支柱ではなくて、新しいいのちである。申請していない人に必要なものも、新しい人生観ではなく内的な動力なのだ。
この必要な動力は、キリストにおいて供給される。死の力を打ち破り、キリストを墓から復帰させた神の力は、私たちの中に働く罪の力を殺してくれる。(第五章、「霊的な効力」p.76)
また、復活と宣教・伝道の関係について解説する六章については、復活があってこそ今生きておられ、私たちを導いておられる主イエス・キリストを宣べ伝えることができることが教えられた。復活という希望があってこそ私たちは使徒と同じ不屈の精神を持つことができる。
自分の「復活」に対する理解の狭さを省みて、私たちの罪を贖い、罪と死に勝利し、復活し、やがて来られる主に対する想いをより深めたい。
「そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。」Iコリント15:17
「もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。」Iコリント15:19
by junstott