ブックレビュー

創世記1章の再発見~古代の世界観で聖書を読む~

あらすじ

著書の大きな特徴は、古代オリエントの世界観を土台に、創世記1章を読み解いている点である。当時の周辺国(エジプト、バビロニア、シュメールなど)の歴史的背景や文化をつなげて、天地創造の記事を読み解いている。

また、古代オリエントの創造物語の比較から、創世記1章の記事は、物質的な創造ではなく、機能的な創造を描写するものである、と著者は述べている。この視点に立って、一貫して読み直しをはかっている。

(「バーラー(創造)」という言葉に)物質的なものへの言及がないのは、無からの物質的創造を指し示すというより、「バーラー(創造)」が物質的行為ではなく、機能的行為であることを示唆するからだと考えるほうが、より適切に説明できる。この見解は、他の学者によって否定されてきたものではない。物質的な存在論が盲目な前提になっていたために、誰も別の選択肢を思いつかなかったというだけだ。

 

著者は、著者は従来の読み方の限界について語っている。多くの人が、天地創造の物語を物質的な創造という範囲の中でのみ、議論がなされている故に、創造の6日間(Yom:ヨム→期間)において、24時間×6日(若い地球説)なのか、長い期間での創造なのかという問題が浮上すると述べている。

もし、天地創造の物語が、物質的な創造ではなく、機能的な創造であるならば、たとえ地球の年代の問題がいずれであっても、それはさほど問題ではなく、どちらでも神の栄光の下で信じることができる、と語っている。

 

感想

ここ最近、科学と宗教について考えるきっかけがあり、学び始めようと思い、初めに手に取ったのがこの本である。

この本の特徴は、やはり天地創造の物語を機能的な創造であると語る点である。

私自身、天地創造の記事を疑いもせず、物質的な創造であると信じ切って(無意識に)、読んでいた。

理系である私は、創造は6日(24時間×6日)間なのか、46億年の長い歴史の中で行われたのか、答えを見いだせずにいた。そして、その悩みは信仰か科学という二者択一のような感覚を持っていた。

しかし、そうした中でジョン・H・ウォルトンはこのようなことを悩んでいる人は他にも大勢いるが、そもそも天地創造の記事は、物質的な創造について述べられていないのだから、悩む必要はないと語った。

創造が古い地球説であっても、若い地球説であってもよいという新しい提示は私にとっては非常にすっきりした思いだった。

しかし、そういった経験をしたからといって、この本に書かれていることが正しいとも思っていない。(もしかしたら正しいのかもしれないが・・・)

正確には、この本が主張していることが正しいかどうかはわからない。

この本で書かれている考えは、私にとってはあまりにも新鮮でかなり魅力的なものであるが、冷静になって判断しなくてはいけないという思いも同時に内側から湧いてきたことも事実だ。(根拠はあまりないが・・・)

本書はぜひ、知見を広げるという意識で読んでほしい。科学と宗教について、天地創造の議論に関しては、多くの意見がある。

 

その一つとして、古代オリエントの文化の専門家であり、旧約学教授であるジョン・H・ウォルトンの考えを頭に入れることは、創世記の世界観を深めるよい助けになると思う。

私も、本書以外にも天地創造に関連する本をこれから多く読み読み、知識を増やし、考えを深めていきたい。