ブックレビュー

共に生きる生活

あらすじ

ドイツの牧師であり、神学者であったディートリヒ・ボンヘッファーが、ナチ党の厳しい政権下で1938年に著した名著である。

世界各国さまざまな言葉に訳されており、今なお多くのクリスチャンに読まれ、励ましを与え続けている。

本著は「交わり」「共にいる日」「ひとりでいる日」「仕えること」「罪の告白と主の晩餐」の5つで題目で構成されており、教会にある多様性とそこに向き合うべき一人一人の姿勢について取り上げられている。

①交わり

この題目でボンヘッファーが強調していた言葉は「神的な現実」である。ボンヘッファーは、教会の交わりは理想の交わりではなく、霊的な交わりであると語る。

ある人は、他で味わうことのできない特別な経験を教会に求めてきている。しかし、教会の交わりはそれぞれの理想の交わりを求める場ではない。

「霊的な現実」とは、キリストを通してキリストの故に他者を愛する交わりである。キリスト者の交わりにはそれ以上の意味もそれ以下の意味も持たない。ただ、霊的な現実がそこにあり、信仰によって教会は結ばれているのである。

②共にいる日

この題目では、祈り、讃美、食卓、働きについて語られている。

教会に属するキリスト者の毎日の営みは、これらの上にある。神が命令された働きを促進するために祈り、喜びを共有するために食卓を囲み、個人ではなく教会が讃美することで霊的に神を礼拝するのである。

③ひとりでいる日

ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい。

ここで強調されている内容である。

黙想し、祈ることで他者を愛することを学ぶ。黙想することで新しい気持ちで他者と関わることができ、とりなしの祈りをすることで他者に奉仕をしている。

交わりに支えられてひとりでいる人は幸せである。ひとりでいることの交わりの力は、ただ神の言葉であり、それは交わりにおいて生きる一人一人に向けられている。

④仕えること

7つの奉仕の方法が具体的に語られている。

この題目で初めに語られていることは「仕えること」と「恵みによる義認」は互いに関連していることだ。

仕えることは、誰が一番偉いかという自己義認ではない。神の一方的な恵みによってキリストを通して人に仕えるのである。

罪の告白と主の晩餐

罪を告白することはつまり、キリスト者としての歩みを進めることだ。

罪の告白は、律法ではない。罪びとのための神の援助の方法である。そして、教会の兄弟に罪の告白することで得る確かさがある。

感想

良書との出会いは今まで何冊かあったが、本書ほど心が揺さぶられ、教会の交わりへのチャレンジが与えられたものは今までなかった。

教会に生きるクリスチャンとして勇気づけられ、教会の兄弟姉妹に仕えていきたいと鼓舞された書物だった。

本書で特に印象に残ったのは、交わりが人間的な交わりではなく、霊的な現実であるという言葉だ。

クリスチャンの交わりは、自らの理想をかなえる交わりではない。「クリスチャンはこうあるべきだ」という理想像を教会の兄弟姉妹に押し付けることは、間違っている。

それはキリストに結び付く交わりではなく、自らが生み出す、自分らのための交わりであるからだ。

教会は、弱さを抱えた人の群れである。しかし、その群れは同時にただキリストにのみ結び付く群れである。このキリストに結び付く群れであることが私たちの交わりを恵みに変える。

私は、そのような「霊的な現実」の交わりを生きていると本書を通して、知ることができた。

 

また、ディートリヒ・ボンヘッファーが教会の交わりを「現実」という言葉で表現できたのは、ナチ党の政権下の厳しい「現実」に生きていたからこそだと思った。

ボンヘッファーの生きたのは、ヒトラーが指導者原理を掲げ、独裁政治が進められ、時代が悲惨な道へと進もうとした時であった。

ホンヘッファーは、その「現実」を信仰によって生きようとした。

彼は目の前に広がるその「現実」を「現実」のすべてと考えることはせず、信仰の目で「現実」を捉え直した。

キリストによって結ばれている教会の交わりが、「ただの現実」ではなく真の現実、「霊的な現実」だと認識したのだろう。その交わりことこそ、神から与えられている恵みであると。

教会の交わりは、机上、空想の何かではなくそこにある「現実」である。キリストに結ばれている交わりには神の恵みがありありと表されている。

そのことを認識する時に目の前の現実は違って見えてくる。

たとえヒトラー政権によって歪められていてもその現実を 教会の交わりというもう一つの現実によって捉え直すなら私たちの向き合い方は変わる。

 

本書を通して、ボンヘッファーの人生を追いたいと思った。ボンヘッファーが戦争の時代においてどのような信仰を持ち、生きたのか。

まだまだボンヘッファーについて知らない私は、ボンヘッファーについてあまり語ることはできないが、これから他の著書にも手を伸ばしてみたい。

 

罪と困窮の中にある兄弟たちが神様の恵みの祝福の下で私たちと共に歩み、共に生きるべく与えられているだけで、十分ではないだろうか。