あらすじ
遠藤嘉信先生による創世記シリーズ、『アブラハム』編である。
アブラハムの生涯を通して経験した出来事一つ一つに、遠藤嘉信先生が解説し、私たちに深い理解と生きる指針を示す。
アブラハムは決して、生まれてから死ぬまで絶えず信仰に生きた人物ではなかった。むしろ、信仰が落ち込んだ時に介入してくださる神の恩寵によってアブラハムは生かされ、選ばれた。
本書のタイトルは『さあ、天を見上げなさい。~神の恩寵とアブラハムの信仰~』である。
神様の創造された星々をアブラハムが見た時、自身の無力さと、神様の偉大さを知った。
絶えず神様の『恩寵』が星空のようにアブラハムを覆い、175歳で死ぬその時までその『恩寵』のゆえに、幸せな晩年を迎え、人生を全うした。
アブラハムは、幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。
創世記25章8節
感想
アブラハムの人生に感情移入させ、自分の人生に重ねて読ませるのが本書の最大の特徴だと思う。
アブラハムの人生は創世記11章27節~25章8節に記されている。
聖書に登場する人物の記述の中では、比較的分量が多いほうだと思われるが、約14章分しかない分量では、アブラハムの経験した全てを語りつくすことはできない。
実際にアブラハムに関する記述が詳しく書かれ始めるのは、アブラハムが75歳の時だ。
それ以前は、メソポタミアの付近で、異教の神々の風習が蔓延っている環境の中で育ったということはわかっているが、その他の事柄はよく知られていない。
しかし、75歳から始まるアブラハムの晩年に向かう人生には、感動を覚える。
本書を通して覗くアブラハムの人生は、読む人の教訓になるばかりか、その人生に自分の人生を重ね、自分の心が揺り動かされ、アブラハムに嫉妬さえしてしまうほど親しい神様との関係を見せつけられる。
しかし、そういった感情はアブラハムの信仰が素晴らしかった、というよりもアブラハムの不完全な信仰に対する神様の一貫した『恩寵』があった故のものだったと感じる。
そして、遠藤嘉信先生は、まさにそこに焦点を当ててアブラハムの人生を追ったのではないかと思う。
また、本書は、いかに読むかによって感じる思いが異なってくると思う。
信仰書として読むのか、アブラハムの生涯の全体像をつかむために読むのか、遠藤嘉信先生の鋭く、また愛のある言葉から学ぶために読むのか。
私は、どの方法も正しいと思う。
しかし、どのような読み方であれ、読み終わったときに気づかされるのは、アブラハムに関わり続けた神様の『恩寵』である。
聖書を読むだけでは気づかない、言葉の節々に詰まっているアブラハムとアブラハムに関わった人々の想いが本書には、書かれている。
聖書に描かれている人物は、決して作られた人物、架空の存在ではないことに気づかされる。まさにその時代に生きた一人の人物と神様との物語がそこにある。
そして、本書を通して、その同じ神様が私たち一人一人の人生に寄り添い、アブラハムに関わったのと同様な親しさをもって、関わってくださる励ましを受けることができる。
アブラムは、主を信じた。それで、それが神の義と認められた。創世記15章6節