宮平望『ディズニー変形譚入門 世俗化された福音への信仰』(新教出版社、2020年)
概要
本書では、「変形譚」という視点で15のディズニー作品が「恋愛譚」「家族譚」「友情譚」「空想譚」「聖書譚」という5つのジャンルに分類され、分析される。
また、「通有性」も本書でディズニー作品を分析する鍵となっている。
作者が定義する変形譚は下表のように説明される(p.27, p.28)。
ストーリー変形譚 | 伝承や編集などの過程を経て変容し、変質した文学作品。 原作に基づきつつも特定シーンの削除や縮小、変更や追加などによりストーリーが程度の差はあれ変わったもの。 |
---|---|
キャラクター変形譚 | 登場するキャラクターの形態が変化、変身する文学作品。 |
ジャンル変形譚 | 一つの文学作品が特定の文化的背景、読者や作者個人の趣向に応じて、便宜的に提示した恋愛譚、家族譚、友情譚、空想譚、聖書譚という五つのジャンルのいずれかに、またはそのジャンルに充当されうる場合。 |
作者が定義する通有性とは下表のように説明される(p.29, p.30)。
ストーリー通有性 | 複数の文学作品が構造的に通有するストーリー(恋愛譚など)を展開している場合 |
---|---|
キャラクター通有性 | 複数の文学作品に同種のキャラクター(プリンセス、プリンス、小動物など)が登場している場合 |
シーン通有性 | 複数の文学作品に同種のシーン(鏡像、キスなど)が描写されている場合 |
以上の視点から、
恋愛譚 | 白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女 |
---|---|
家族譚 | リトル・マーメイド、美女と野獣、ライオン・キング、アナと雪の女王 |
友情譚 | アラジン、トイ・ストーリー3、モンスターズ・インク |
空想譚 | ピーター・パン、ふしぎの国のアリス |
聖書譚 | 塔の上のラプンツェル、くまのプーさん〜イースター・エッグ・ハント、ファインディング・ニモ |
のように分類され、聖書の視点を交えて分析される。
感想
私自身クリスチャンとして、また、ディズニー作品のファンとして、聖書のメガネを通してディズニー作品を観ることを趣味としている。
ディズニー作品は私にとって娯楽であり、また、世俗の(というと偉そうに感じる人もいるかもしれないが)価値観を学ぶための資料でもある。
ディズニー変形譚が一般の人々に向けて世俗的な要素から構成され、人々に夢や希望を与える良い知らせとして福音であり、この福音が多くの人々に受け入れられている点で言わば信仰対象になっている(後略)(p.189)
という指摘は重要だ。
明確な信仰を持たない人は、ディズニーという「世俗の宗教」から愛、誠実、友情、勤勉、希望といったことを学び、ディズニー作品を「聖典」として、時にディズニーランド/シーに「巡礼」するのである(宮平望『ディズニーランド研究 世俗化された聖地への巡礼』新教出版社、2019年)。
それゆえディズニー作品に対して警戒心を持つクリスチャンは少なからずおり、その警戒心は間違ってはいないと思う。
少なくとも、「影の宗教」としてのディズニーの、聖書の価値観と相容れない要素や自己実現的な価値観に対する批判的な見方はクリスチャンに必要なものに思う。
(ディズニー作品に限った話ではないが。)
ともあれ、ディズニー作品のファンとして私は「古典的ディズニープリンセス作品の『王子による救い』と現代ディズニー作品の『自己実現』(リンク先は苫小牧福音教会 水草牧師のブログ)」「『トイ・ストーリー1〜3』を聖書のメガネで観る」という文を書いた。
また、「『アナと雪の女王2』を聖書のメガネで観る」という文も近日中にこのブログで公開する予定だ。
これは、私が聖書とディズニー作品の通有性に注目した結果生まれた文章であり、聖書の価値観を、世俗的なものを通してたとえようと試みたものでもある。
イエス・キリストも多くのたとえ話で、世俗的な事柄になぞらえて福音を説いている(p. 192)。
さて、筆者の分析だが、唸らされるものも多くあり、「それはただのダジャレでは?」と思うようなものも多少ある。
が、全体としては、筆者が見つけた聖書とディズニー作品の通有性は私にとってたくさんの驚きと発見があった。
「聖書のメガネを通してものを観る」こと、あるいは「世俗的なものによって聖書の価値観をたとえること」を学ばされる本だし、ディズニー好きなクリスチャンはシンプルに楽しんで読める本でもあると思う。
もちろん、通有性には注目するが、クリスチャンとしてはあくまで聖書を主体とすることを忘れてはならない。
by Junstott