雑記ブログ

戦争経験者の渡部良三さんから学ぶ~⑥戦友から受けたリンチ~

渡部良三さんについて

 

渡部良三さんは、第二次世界大戦で中国の深県という場所に派遣され、最前線で戦争の悲惨さを目の当たりにした方です。中国に滞在中、度胸試しという名の「刺突訓練」を上司から命令されますが、50人いた部隊の中で唯一、その命令を拒否して、キリスト教徒としての信仰を守り抜きました。上司からの命令に背いたことで、同じ日本兵から何度もリンチされ、様々な部隊にたらい回しにされ、日本兵からは危険人物として、敗戦を迎えることになりました。終戦後、渡部さんは自身の戦争経験を様々なところで講演し、戦争責任の問題や、戦争の悲惨さを多くの人に伝えています。今回は、この渡部良三さんの経験されたことと、戦争に対する思いを、ある高校の講演で話されたことをもとにシリーズで話したいと思います。

 

戦友から受けたリンチ

渡部良三さんは、「刺突訓練」を拒否したことが理由で、同じ日本兵からひどいリンチを受けます。

1つ目は、往復ビンタです。

両側から勢いのある平手が渡部良三さんの頬にとんできます。耳の近いところをビンタされていたために途中から、音がしなくなったそうです。しかし、音は聞こえなくなっても痛みはなくなりません。口の中はザクロのようになって、2日も3日も味噌汁でさえ飲むことが出来なかったそうです。ご飯もたくあんもかまずにすっと喉にまでもっていかなければいけませんでした。

 

2つ目は、水責めです。

古い洗面器の中に小さな穴を空けて、バンザイの姿勢を取らせてその洗面器を頭の上で持たせるというものでした。穴を空けた小さな部分からは少しずつ、水が流れてきます。鼻の近くを通ったら呼吸が難しくなりますし、常に、バンザイをしているので、体力的にも限界がすぐに来ます。。また、渡部良三さんがそれをさせられたのは、4月の事で、雪も降るような寒い状況でのことだったそうです。このことについて、渡部良三さんは次のように語っています。

”一番、水責めのリンチで苦しかったのは、自分の戦友、同年兵、同じ初年兵に水を足されるんです。で、部屋の中ではやらないんです。部屋の中でやれば・・・水がドロドロになります。時にはですね。水を継ぎ足す順番は決まってますから、分隊長や古年次兵はもう忘れてしまっている。その・・・寝ちゃうんですね。もう本当に最初のリンチが終わったら腰が経ちませんでした。グダッとそこへ座り込んでしまった。”

ぼくは、この渡部良三さんの言葉を知ったとき、つくづく渡部良三さんは、人の内面の痛みに思いが向かう方だなと思いました。「刺突訓練」の時もリンチされることを知りながら、信仰を守り、捕虜を突くことをせず、また目の前で捕虜を突いている戦友の負う心の傷に思いが向かい、捕虜を人として扱っていない分隊長や古年次兵に対しても、戦争で今まで負った心の傷が彼らをそうさせていると語っています。そして、自分がリンチを受けるとき一番苦しいのは、肉体的な痛みではなく、戦友がそのリンチに加担している事実に目を目けています。

 

3つ目は、軍靴や木銃での殴打です。

軍隊は鋲がついている靴を履いており、見た目も非常にごっついものでした。それをスリッパ代わりにして、殴られるそうです。あるいは、木銃といって、カシの棒を使って殴られるそうです。軍靴も木銃も鋭利なので、内出血ではなく外傷が多くなります。渡部良三さんが最も多く殴打されたのは、大腿の外側だったそうです。

 

4つ目は、対抗ビンタです。

分隊の人が何かしくじりをすると隊員がさせられるものです。隊員同士が向かい合って、ただビンタをし合うそうです。

しくじるというのは、例えば銃の手入れで、老眼鏡をかけなければわからない程度の誇りを見つけると、上官から

”天皇陛下の銃に対してほこりをつけることは何事だ”と言われて対抗ビンタが始まるそうです。

しかし、隊員はその時、15人でした。向かい合ってビンタし合うので渡辺良三さんは、いつも中途半端の数にされ、古年次兵とともにするそうです。もちろん、上官でもある古年次兵に対して、ビンタをすることはできないので、一方的にビンタされ、気絶するときもあったそうです。

 

 

また、渡辺良三さんはこのようなことも合わせて話されていました。

水責めにあった後・・・・

”ところが、心有る戦友がやはりいるもので、昼間は顔を向けても知らん顔しているのに、その一人の人が戦友が手を貸してくれて、やっと着替えることが出来ました。これがその・・・事実であります。”

対抗ビンタで外で気絶した後・・・

”ところが、まあその通りがかりの中国人がほっぽってあったのをその、かわいそうに思ってこれは日本の兵隊さんじゃやないかと自分の引いている馬車に乗っけてきて、兵門までもってきて運んでくれた。そこでまあ衛生兵が受け取ってくれた。・・・”

どんなな状況であっても、自分の周りには敵しかいないと思われるような状況でも、手を差し伸べてくれる人や助けてくれる人はいるということをぼくはこの渡部良三さんの言葉から教えられ、励まされました。

 

しかし一方で、このようなことも語っておられました。

その手当をしてくれた衛生兵が、そのときになんて言いましたか。『おまえもばかだなあ。愚直だよ。・・・目をつむって、一突きすりゃあいいじゃないか』こう言いました。これとっても優しく聞こえますでしょ。だけど、どっこいこんな民族差別というか人間蔑視の言葉はありません。私軍隊で聞いた言葉で、もう優しく聞こえるのに恐ろしい言葉はこれに勝るものはないと思う。”

 

この言葉は衛生兵が無意識に渡辺良三さんへのやさしさから放った言葉だろうと僕は思います。しかし、何より恐ろしいのは、その本心から放った言葉が、何よりも人種を差別するような言葉であり、それに気づかずに衛生兵が発していること自体に、戦争の影響のむごたらしさというものがにじみ出ていると思いました。

 

この高校での講演の始めに渡辺良三さんが語った戦争をしてはいけない一番の理由で”真理を聴く心が失われる”ことを挙げた意味がこの言葉から少し理解できたように思いました。

 

 

 

この後も渡辺良三さんは、何度もリンチに会いますが、その都度、自らの信念を貫き通しました。そして、ある日渡辺良三さんは別の部隊の通信兵に異動することになりました。

ではまた。

戦争経験者の渡部良三さんから学ぶ~⑥初めての戦闘~