渡部良三さんについて
渡部良三さんは、第二次世界大戦で中国の深県という場所に派遣され、最前線で戦争の悲惨さを目の当たりにした方です。中国に滞在中、度胸試しという名の「刺突訓練」を上司から命令されますが、50人いた部隊の中で唯一、その命令を拒否して、キリスト教徒としての信仰を守り抜きました。上司からの命令に背いたことで、同じ日本兵から何度もリンチされ、様々な部隊にたらい回しにされ、日本兵からは危険人物として、敗戦を迎えることになりました。終戦後、渡部さんは自身の戦争経験を様々なところで講演し、戦争責任の問題や、戦争の悲惨さを多くの人に伝えています。今回は、この渡部良三さんの経験されたことと、戦争に対する思いを、ある高校の講演で話されたことをもとにシリーズで話したいと思います。
父親との約束
3人、4人と捕虜が「刺突訓練」の犠牲になっていく中、渡部良三さんの訓練の順番が回ってきました。5人目が連れて来られた時でした。
連れて来られていたときにはすでに、渡部良三さんの手には、刺突銃が渡されていました。この刺突銃は、すでに何人もの人を殺めてきたもので、人のアブラや、血の匂いでひどいものになっていたそうです。
そしていよいよ、渡部良三さんが突かなければいけないという時、渡部良三さんの頭に浮かんだのは、渡部良三さんのお父さんとの3つの約束だったそうです。
”3つのことを言ってくれた。1つは神様を忘れないでくれ。んで、2つ目は、困ったら、赤ん坊のような言葉でもいいと。何も言葉は飾ることも何もない。心を素直にして、神様どうぞ助けて下さい。私は何があってどうしていいのか、分からないんです。そういう一言でいいから神様に祈ってくれ。要するに祈れ、1つは神を忘れるな。2つ目はことに当たって神に祈れ。で3つ目はこれがまあ最も人間臭い言葉なんですけども、自分が少しでも信仰をもとうとするならば、行動がなくちゃだめだ、行動しなかったらだめだよ。行動しなければ自分の思想も信仰も行動が伴わなかったならば、どんどんどんどんさきぼそりするばっかりだ。だから必ず、神に祈ると共に行動してくれ・・・”
そして、そのことを思い出して渡部良三さんの頭に、地響きとも地鳴りともうなりともつかない響きの中で、
”虐殺を拒め!命を賭けよ!そしてキリストを着よ!汝キリストを着よ!すべてキリストに依らざるは罪なり!”
そこで初めて、殺すべきじゃない、この捕虜を殺さない。と思い、決意したそうです。
ぼくは、どれほどの信仰をもってこの決意ができたのか想像することもできません。
この殺さないという意味は、その人を殺めないという意味だけでなく、
”上官の命令はすなわち朕が命と心得よ”という日本の土台ともいえる教えに背き、日本にとっての危険人物として扱われることも含まれていました。
次回書書きますが、この決断の後の、日本兵からの渡部良三さんへのリンチはすさまじいものでした。
渡部良三さんは、自分にこの後、降りかかるであろう厳しい現実を考えてもなお、お父さんとの約束を守り、信仰を守り抜きました。
しかし、苦渋の決断を信仰をもって歩もうとした矢先、渡部良三さんには、すぐに次の事が頭に浮かんだそうです。
”私がその場でもっと大きな、殺さなかってことを帳消しにしてもなお大きな罪を侵したものを・・・上官にも戦友にも同じ新兵の戦友にも、やめてくれ、殺すなと言うことをついに言わずに黙って・・・”
渡部良三さんが必死に祈りながら、お父さんとの約束を思い出して、自分の信仰を守り抜いた先に待っていたのは、平安な気持ちではなく、目の前で罪を侵す戦友への思いでした。
目の前で人を殺めている戦友を観ることしかできない自分。捕虜になっている人の身代わりになってあげられない自分。
信仰が守り抜くからこそ、悩まなければいけない現実が渡部良三さんの前にありました。
戦場は、人が人でなくなるには十分すぎるほどの環境でした。
渡部良三さん以外の49人全員が「刺突訓練」をしているのを目の前にして、渡部良三さんはどのような思いでそこに立っていたのか。
自分が人を殺めないということへの決断だけでなく、戦友が人を殺めているのを目の前に何もできない自分がいるという現実の中、何を思ったのか。
その場にいた本人でしかその思いを表現することはできませんが、ぼくは、この状況に自分だったらどうかと思いを巡らせてみることは非常に意味のあることだと思いました。
渡辺良三さんはこの後も、自らキリスト教の信仰を守り抜こうとするゆえに様々な困難に直面することになりますがそれは、次回に書きたいと思います。
ではまた。