渡部良三さんについて
渡部良三さんは、第二次世界大戦で中国の深県という場所に派遣され、最前線で戦争の悲惨さを目の当たりにした方です。中国に滞在中、度胸試しという名の「刺突訓練」を上司から命令されますが、50人いた部隊の中で唯一、その命令を拒否して、キリスト教徒としての信仰を守り抜きました。上司からの命令に背いたことで、同じ日本兵から何度もリンチされ、様々な部隊にたらい回しにされ、日本兵からは危険人物として、敗戦を迎えることになりました。終戦後、渡部さんは自身の戦争経験を様々なところで講演し、戦争責任の問題や、戦争の悲惨さを多くの人に伝えています。今回は、この渡部良三さんの経験されたことと、戦争に対する思いを、ある高校の講演で話されたことをもとにシリーズで話したいと思います。
連れてこられる3人の捕虜
古年次兵に連れてこられる捕虜。ハーグ条約によって命が保証されているはずの捕虜が、刺突訓練のために50人日本兵の前に連れてこられました。一人目は、若い男の子でした。彼は、逃げようと試みるも、古年次兵によって捕まり、縛られ動けなくされます。
縛り終えると、教官は隊員に向かって、”一番最初に模範を示すよ、刺突銃をくれ”と話したうえで、突き方について隊員たちに教えました。
一つ目の方法は”下からしゃくりあげるように突け”ということ。
二つ目の方法は“突いたらすぐに抜け”ということでした。
その理由について渡部良三さんこのように語っています。
”人間の体は、真正面から突いたら必ず肋骨に当たる。肋骨というのはわかりますね。・・・まともに突いたんじゃ人間の肋骨に突き当たってしまって剣が刺さりません。だから・・・下からしゃくり上げるように突け、ということ・・・・・・人間の体は、剣で刺すと一瞬急激な収縮をして、そしてなかなか引きにくくなる。抜けなくなる。だからすぐに抜け”
ぼくは、この教官もまた、初めて人を殺すという悲惨な経験を経てそこに立っており、渡部良三さんの言葉を借りるなら、戦争を経験して”真理を聴くという心が失われている”状態だと、思いました。
その後、教官は、”突撃!”という大きな号令の合図とともに、その捕虜を刺しました。
この状況を見て、渡部良三は見ていられず、顔背けてしまいますが、それを見ていた分隊長は、”何やってんだ!”と怒鳴られたそうです。見ることもまた、訓練でした。
2人目は、中年の人でした。中年の人は、目隠しをされずに連れてこられました。それを見た教官は古年次兵に目隠しがされていないことを指摘しますが、それは捕虜自身が自分を殺す人を見たいから、という理由で目隠しをしなかったと応えます。
その人もまた、同様に何人もの人によって刺突銃で突かれ、体がぼろぼろになって、亡くなっていきました。
3人目は、20歳前半の方でした。その方が縛られている時、あるおばあさんが走り出してきて、土下座をしたそうです。中国語で必死に訴える様子を見た渡部良三さんは、何を言っているかはわかりませんでしたが、古年次兵は少し中国語を分かるらしく
”今更助けろと言われたって駄目だ”と言い返し、そのおばあさんを抱えてどこかへ連れて行ってしまいました。おそらく、その捕虜を助けてほしいと訴えたようでした。
そして、3人目に縛られた若い方は、大声で、”メイファーズ”と叫びました。
このメイファーズという言葉にはしかたがないという意味があるそうです。そして、その言葉は、ただ叫んだというよりも、連れてこられるまで一列に並んだ人の中に自分の母親がいて、その母親に向けていった言葉のように渡部良三さんは思ったそうです。そして、その方は連れていかれた先で声が聞こえなくなりました。
この”メイファーズ”という言葉に対して渡部良三さんはこう語っています。
”私は、あの、この時覚えたメイファーズは、中国語で日本語に翻訳された、仕方がないという、そこで終わらなく、自分の人生がこれから始まるんだよというそういう意味を込めた仕方がないじゃなかったんじゃなかったんだろうか、私はそんなふうに考えておりますけども・・・”
渡部良三さんは、捕虜一人一人や日本兵の一人一人の言動がその表面的な意味ではなく、常その背後にある憎しみや悲しみ、苦しみの結果の言葉として捉えていました。
3人の捕虜のそれぞれの死に際を観た渡部良三さんは、その経験を何十年経った後でも鮮明に覚えていました。
戦争は何万人の死者が出たという言い方をよくされますが、亡くなった方も含めて、その一人一人が戦争によって、本来あるべき人の健常さが崩壊させられていく事。そして、戦争の悲惨さは、亡くなった数を数えるだけでなく、生き残った人の傷として、殺された一人一人との出来事が鮮明に思いだされてしまうことが、戦争の何よりの負の遺産であることをぼくは思わされました。
何万人と亡くなったという数と比較すると、3人という数字はあまりにも小さく見えてしまいそうですが、3人のそれぞれの人生の終わりを見た人へ負の影響はそれだけで、計り知れないものがあるのだと渡部良三さんの3人の捕虜の方の話を聞いて感じるものがありました。
今回は、3人の捕虜の方の話を取り上げましたが、その同じ日には、5人の捕虜が”刺突訓練”で犠牲になったそうです。
そして、いよいよ5人目が連れてこられるときに、渡部良三さんの番が回ってきました。
ではまた次回。