渡部良三さんについて
渡部良三さんは、第二次世界大戦で中国の深県という場所に派遣され、最前線で戦争の悲惨さを目の当たりにした方です。中国に滞在中、度胸試しという名の「刺突訓練」を上司から命令されますが、50人いた部隊の中で唯一、その命令を拒否して、キリスト教徒としての信仰を守り抜きました。上司からの命令に背いたことで、同じ日本兵から何度もリンチされ、様々な部隊にたらい回しにされ、日本兵からは危険人物として、敗戦を迎えることになりました。終戦後、渡部さんは自身の戦争経験を様々なところで講演し、戦争責任の問題や、戦争の悲惨さを多くの人に伝えています。今回は、この渡部良三さんの経験されたことと、戦争に対する思いを、ある高校の講演で話されたことをもとにシリーズで話したいと思います。
戦争をしてはいけない理由
渡辺良三さんは、ある高校で行った講演で、戦争を否定する最大の理由について以下のように語っています。
”戦争をした当事者どちらの一方の国を見ても、どちらを観てもたくさん人が死ぬんですけども、その死ぬことよりも、何よりも生き残った人が戦争というものを経験して、そして心が傷ついてしまう・・・中略・・・とにかく心の障がい者になってしまって、真理を聴くという心が失われている。キリスト教的な言い方をしますと、神様の声を聴くことが出来なくなっていってしまう。それが一番ボクは、戦争の害悪だと思う。”
渡部良三さんは、戦争をしていけない最も大きな理由について、死ぬ人の数よりも、その戦争を経験して生き残った人が、大きな傷を持って、真理の声を正常に聴くことが出来なくなってしまうということを語っています。
また、渡部良三さんは、このことが第一次大戦後のイギリスに大きな影響を及ぼしたとも語っています。
20世紀初頭まで、イギリスは、アメリカをしのぐほど、世界に対する影響力を持ってました。
しかし、第一次世界大戦で、多くの若者が死に、国中が戦争で経験した心の傷を背負って生きていくことになり、次世代を担う若者は大きな心の傷の故に、考えることを辞めてしまい、新しいものを生み出すことが出来なくなったと語っています。
結果的に、現在アメリカと比べて、経済的にも成長が止まってしまったのは、その若者の心の傷が原因だそうです。
渡部良三さんにとって、最も大事にすべきなのは、人の心の傷です。
中国人捕虜に対して行われた、度胸試しの「刺殺訓練」経験をはじめ、戦争中に行われたあらゆる虐殺を目の当たりにしてきた渡辺さんご自身も受けた傷も、戦争が残した大きな爪痕といえるかもしれません。
渡部良三さんは、その高校での講演の最後に、女子高生からある質問をされました。
「なぜ、目の前で刺突訓練をしている人たちを止めなかったんですか?」
この、非常に厳しい言葉に思える一言に対して、渡部良三さんはこう応えます。
「本当にその通りですね。ボクには、そこまでできる信仰がなかった。自分のことを守ることで精一杯だったんですね。」
渡部良三さんのその言葉は、自身の無力さを自覚し、どうすることもできなかったことへの後悔の念、他にも様々な複雑な気持ちが含まれているものだとぼくは思いました。
これからも、続けて渡部良三さんの経験された話を書いていこうと思います。