雑記ブログ

キリスト教を信じるようになった経緯

ぼくがキリスト教を信じるようになったのは、20歳の時です。

 

部活動に明け暮れる


生まれながらにして、両親はクリスチャンなので俗にいう2代目クリスチャンです。

小さいときから、教会に通っていました。

 

ただ、小学4年生のときに、バスケットボールを始めて、かなりはまりました。

 

 

中学校では、バスケ部に入り、日曜日も部活動に取り組む日々でした。

 

部長にも選んでもらって、顧問の先生からもいろいろ言われながらも、全力で部活動に打ち込んでいましたね。

 

 

3年生の時には、県大会の上位に入るくらい強いチームになれて、部活動での活動が楽しくて仕方ありませんでした。

 

高校でも、バスケ部に入りました。

 

部員が50人近くいて、ベンチメンバーに選ばれない時期もあって悔しい思いもしましたが、

 

 

徐々に試合にも出させてもらえるようになって、

 

自然とチームの中で責任感が湧いてきて、部活動以外の事はあまりしてこなかったのが正直なところです。

 

 

 

 

一方、キリスト教に関してはというと、あまり教会には行きませんでした。

 

 

何よりも、バスケが好きだったのと、

 

時々教会に行って、それなりに気を遣って帰ってくる時間があまり好きではなかったんですね。

 

むしろ、信じてやるかくらいの気持ちでいた気がします

 

ただ、

 

高校3年生の冬頃、センター試験が近くなって、一人の教会の方が、ぼくにメールで、イザヤ書41章10節の言葉をもらったんですね。

「恐れるな。わたしは、あなたたとともにいる。たじろぐな。私があなたの神だから。私は、あなたを強め、あなたを助け、私の義の右の手で、あなたを守る。」

 

 

この言葉と、全然教会に行ってなかったのに、教会の方に覚えていてもらったという経験が、試験のストレスに負けそうになっていたぼくにはすごい励ましでした。

 

結構ストレスがかかっているときに、やさしい声がかかると、自然と思いが声の方に向いてしまいますよね。

 

大学に進学して、回心する


なんとか、地元の大学に合格し、無事に進学し、

 

 

大学では、キリスト者学生会(KGK)という集まりに、周りの方の誘いで参加し、自分は正直、反抗するために、通っていました笑

 

まあ、いってやろうかくらいのノリでした。

 

 

しかし、KGKのイベントで話していたある牧師先生の説教を聞いて、頭に雷が落ちる経験をしてしまいました。

 

イエスが、十字架にかかったってそういう意味だったの?

 

聖書って何なんだ。イエスってすごいの?え、なにこれ。

 

っていう気持ちが正直なところです。若干心がキリスト教へなびいた瞬間でした。

 

 

しかし、それだけでは納得いきません笑

 

 

ぼくは、KGKのイベントが終わってから、教会の牧師先生から聖書の勉強をしないかという誘いを受けました。

 

もちろん、学びました。

 

 

ただ、納得したくない気持ちがあったので、クリスチャンになったら負けだと思ってましたし

 

一旦、学びを辞め、大学の部活動に入り、再び楽しい日々。

 

 

まじで、部活動をしている時間の方が100倍楽しかったんです。

 

 

 

しかし、1年後、再びやってきました。夏。KGKのイベント。

 

 

正直、参加する気もなかったのが本音ですが、なんで参加したのかは、今でも正直覚えていません。

しかも部活を休んでいったので、ますます謎ですね。

 

 

自分が親の車を借りられて、アッシーくんになる必要があったから?

 

 

KGKで知り合った友達に会いたかったから?

そんな感じだったと思いますが・・・

 

 

まあでも楽しかったです。

その楽しい時間を過ごしながら、いる中、そのイベントの2日目か3日目、KGKの主事なる方が、ちょいちょいと話があると誘って、二人きりになったんでした。

いやあこまった。その時、マジで思いました。

 

しかし、主事のまっすぐな思いが自分に向けられていることを知り、それに応える必要を感じました。

 

それで、すべて言いました。

 

自分はそもそも、キリスト教を信じたくないって思っているから、信じる資格なんて自分にはないと思っているということ。などなど

 

 

いろいろ言ったのですべては覚えていないのですが、まあ最後まで主事は黙って聞いてくれましたね。ぼくのために泣いてもくれました。

 

 

その時ぼくは、自分のために泣いてくれる人いるんだって思いました。

 

そんで話を終わったときに、主事が放った一言にぼくはやられました。

 

 

「もう自分のこと、クリスチャンだと認めてもいいんじゃない?」

 

 

その一言は何年も経った今でも忘れられないですね。

 

 

気持ちの変化


 

なんか、反抗していた自分には見えなかった、表現できない自分の本性、みたいなところに突かれた感じでした。

 

結局そのときに、反抗していたものが完全に折れました。

 

 

そこから半年教会の方と聖書の勉強をして、20歳の時に洗礼を受けたわけなんです。

 

教会でも多くの人が話を聞いてくれて、連絡くれたりして、温かさを感じました。

 

 

今振り返ると、結構いろんな人に助けられて、人のつながりのすごさに圧倒されて、信じたような感じですね。

 

そんな感じでキリスト教を信じたわけですが・・・

 

今では、できるだけ多くの人にキリスト教の事を知ってほしいと思っています。

 

今は、キリスト教の神学校と呼ばれるところで、聖書の勉強をひたすらしながら、このブログを書いています。

 

将来は、キリスト教に関連する仕事に就きたいと思いながら、生活しています。

 

 

 

 

なんとかこれからも、キリスト教の魅力を伝えていくために、努力していきたいと思います。

では、また!