皆さんは、人に裏切られた経験はあるでしょうか。
「あの人のこと信じていたのに・・・」
こんな風に思ったこと
ぼくも、経験したことがありますし、多くの方が経験した思いではないでしょうか。
そして、裏切られると傷つき、立ち直るのにもほんとに長い時間がかかります。
しかし、実はこの「相手を信じていたのに裏切られた」という思いは、
「その人をどう信じていたか」
ということによって
大きく左右されています。
なので今回は、
「信じることの本当の意味」
について、芦田愛菜さんの言葉から、一緒に考えていきたいと思います。
芦田愛菜さんは、皆さんがご存じの通り、ドラマ「マルモのおきて」で大ヒットしました
そして、2020年現在、芦田愛菜さんは、高校生16歳になり女優としても大活躍しています。
そんな芦田愛菜さんは、主演の映画「星の子」の完成報告イベントの際、
「信じる」ということについて次のように語っていました。
”「その人のことを信じようと思います」って結構使うと思うんですけど、
それってどういう意味なんだろうと考えた時に、
その人自身を信じているのではなくて、
自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていることなのかなと感じて、
だからこそ、人は裏切られたとか、期待していたのにとか言うけれど、
別にそれはその人が裏切ったとかいうわけではなくて、
その人の見えなかった部分が見えただけであって、
その見えなかった部分が見えた時に、
それもその人なんだと受け止められる揺るぎない自分がいるというのが、
信じられることなのかなって思ったんですけど・・・
でも揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいじゃないですか。
でも、だからこそ人は、信じるって口に出して不安な自分がいるからこそ、
成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました。
芦田愛菜さんにとっての信じるというのは
「期待していた行動をしてくれなかったとしても、それがその人であることを受け止められる揺るがない自分を持つこと」
と表現しています。
そして、「自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていること」は
その人を本当に信じている状態ではないと、
語っています。
裏切られたという経験は、
もしかしたら、芦田愛菜さんが話すように
「自分の理想を相手に押し付け、その理想通りに相手が動かなかったときに、抱く気持ち」
なのではないだろうかと
ぼくはその言葉を聞いて思うようになりました。
本当の意味で「相手を信じる」ことができる人は、意外と
何にも揺るがされない自分を持っている人が、できることかもしれないですね。